本章ノ参 四節「罪と赦しの1200年:燻褪闇進天極記」(作成中)
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本章ノあ あ 編
あ節 あ
──────────────────────
ああああ
◆ 第1項 首席卒業の日(改稿・完全版)
白銀歴4年 3月22日(土)
アルビオニア王国最高学府
星叡院(せいえいいん)・セントラザフォード・カレッジ 大講堂
講堂は祝福の光に満ちていた。
天井に浮かぶ星雲ホログラムがゆっくりと回転し、
卒業生たちの未来を照らしている。
壇上へと続く階段の前で、
一台の車椅子が静かに止まった。
デア・ポップフェラー。
そして、その隣に立つのは――
次席卒業のデズモンド・スペンサー。
「……行けるか?」
デズモンドが小声で問う。
デアは小さく頷いた。
「はい……」
デズモンドは彼女の細い腕をそっと取り、
ゆっくりと車椅子から立たせた。
一歩、踏み出す。
その瞬間、鋭い痛みが脚を走った。
(……痛い……でも……)
デアは横目でデズモンドの横顔を見た。
凛々しく、優しく、誰よりもまっすぐな横顔。
(……こんな素敵な人の横顔を、
私なんかが独り占めしていいの……?)
胸が熱くなり、
痛みさえ甘く感じた。
二人はゆっくりと壇上へ上がり、
並んで表彰台に立った。
華奢な少女の白い制服は、
細い肩に少し大きく見えた。
だが、その顔立ちは息を呑むほど整っており、
自然と視線を集めていた。
「首席飛級卒業、おめでとうございます」
拍手が降り注ぐ。
だが、デアの胸はどこか空虚だった。
――私は、もう長く生きられない。
医師から告げられた余命は一年未満。
ポップフェラー家はその事実を
「役に立たない娘の処分期限」としか見ていなかった。
それでも、今日だけは胸を張りたかった。
視線を横へ向けた瞬間、
デアの心臓が跳ねた。
デズモンドが、
自分を見て微笑んでいた。
その微笑みの裏で、
デズモンド自身も胸の奥に小さな痛みを覚えていた。
(……また、君に救われてしまうな)
自分より弱いはずの少女が、
自分より高い場所に立っている。
その事実が――
誇らしくて、悔しくて、嬉しくて、苦しかった。
デアの胸の奥に甘い痛みが走る。
デズモンドの胸にも、別の痛みが走っていた。
(……今日だけでいい。
今日だけ、私は幸せでいたい)
デアはそう願った。
デズモンドは――
“今日だけ”と言われる未来を、なぜか恐れた。
◆ 第2項 いじめの日々と、差し伸べられた手(改稿・完全版)
入学して間もない頃。
デア・ポップフェラーは、すでに“噂”の中心にいた。
――ポップフェラー家の中で、あの子だけ扱いが違うらしい。
――家族に愛されていないんだって。
――病弱で、役に立たないから。
そんな陰口が広まるのに、時間はかからなかった。
そして噂は、
カースト上位の女子たちの耳にも届いた。
「ねぇ、病弱なお姫様って本当に勉強しか取り柄がないの?」
「触らないでよ。病気がうつるかもしれないじゃない」
机を隠され、教科書を破られ、
すれ違うたびに聞こえる嘲笑。
それでもデアは笑って耐えた。
泣けば、もっと惨めになる気がした。
(……大丈夫。
私は、泣かない……)
そう自分に言い聞かせていた。
だがある日、
階段の踊り場で背中を押され、
視界がぐらりと傾いた。
――落ちる。
そう思った瞬間。
「危ない!」
強い腕が、デアの身体を引き寄せた。
デズモンド・スペンサーだった。
「君たち、やりすぎだ。恥を知れ」
その声は低く、怒りを押し殺していた。
女子たちは怯え、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
デアは震える声で礼を言った。
「……ありがとう、デズモンド」
「気にするな。
君は誰より努力してる。僕は知ってるよ」
その言葉は、
デアの胸に小さな灯をともした。
――初めて、自分を見てくれた人。
だがその瞬間、
デズモンドの胸にも別の感情が生まれていた。
(……弱い者を助けるのは当然だ。
なのに、なぜ僕は“良く思われたい”なんて……)
胸の奥に、
ひどく嫌なざらつきが残った。
正義感が9割。
だが、残り1割の“打算”が確かにあった。
その1割が、
彼を深く自己嫌悪へと沈めた。
(……最低だ、僕は)
だがその自己嫌悪こそが、
彼をより強くデアへ向かわせることになる。
デアは知らなかった。
この日を境に、
デズモンドの中で何かが静かに動き始めたことを。
◆ 第3項 デズモンドの影(改稿・完全版)
デズモンド・スペンサーには、誰にも語らない“影”があった。
幼い頃から、兄と比較され続けた。
兄は王位継承者。完璧で、強く、賢く、誰からも愛された。
デズモンドは――
その“予備”。
父王はいつも言った。
「お前は二番でいい。
だが、二番のまま死ぬな。
誰かを踏みつけてでも、価値を証明しろ」
その言葉は、
少年の心を静かに歪めていった。
(……僕は、誰かより上に立たなければ価値がない)
そう思い込むようになった。
だからこそ、デア・ポップフェラーの存在は、
彼にとって説明のつかない“痛み”だった。
虚弱で、家族に愛されず、誰にも期待されていない少女。
なのに――
彼女は自分より優秀な成績を取った。
(……どうしてだ。
どうして君は、そんな身体で……)
悔しさと、
嫉妬と、
そして――
言葉にできない温かさ。
矛盾した感情が胸の奥で渦巻いた。
だが、
デアと過ごす時間は、
その全てを静かに溶かしていった。
・安心して何でも話せる相手
・自分を否定しない相手
・自分より弱いからこそ、自分を受け入れてくれる相手
(……僕は、君の前では“二番”じゃなくていい)
その歪んだ安心感に、デズモンドは気づかないふりをした。
ある日、
男子グループがデアとの仲をからかってきた。
「おいデズモンド〜、またデアちゃんと勉強デートかよ〜?」
「お前ら、邪魔すんなよ。
デートの邪魔をするんじゃねぇよー」
言い返した瞬間、自分でも驚くほど声が荒れていた。
男子たちは笑いながら去っていったが、
デズモンドの胸はざわついていた。
(……恋じゃない。
そんなはずはない。
でも……今は少しでも一緒にいたい)
自分の感情が何なのか、
彼自身が一番わかっていなかった。
そして――
運命の日。
医療データベースで、
デアのカルテを偶然目にした。
“余命一年未満”
胸が締めつけられた。
(……そんなはずがない。
君は……僕より先にいなくなるなんて……)
哀れみ。
使命感。
恐怖。
そして――
失いたくないという、
あまりにも利己的な願い。
その全部が混ざり合い、
彼の心を深く揺さぶった。
(……僕が支えなければ。
僕が守らなければ。
僕が……君のそばにいなければ)
それは“優しさ”ではなかった。
“恋”でもなかった。
ただ――
彼自身が救われたかった。
デアの存在は、
デズモンドにとって“救い”であり“依存”だった。
そしてその依存が、
やがて二人を悲劇へと導いていく。
◆ 第4項 パーティの灯りの下で、初めての告白(改稿・完全版)
ポップフェラー家の邸宅で、首席卒業を祝うパーティが開かれていた。
豪奢なシャンデリアが煌めき、貴族たちが笑顔で談笑している。
その中心で、デアは家族に囲まれていた。
「よくやったわ、デア。あなたは我が家の誇りよ」
母の言葉は、どこか上滑りしていた。
だが――
それでも、デアは胸が熱くなった。
(……お母様に褒められた……)
涙がこぼれそうになる。
その横で、兄がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていた。
その笑みは祝福ではなく、
獲物を眺める捕食者のような気味の悪さを帯びていた。
デアは視線を逸らした。
そして――
デズモンドが現れた。
「首席卒業、おめでとう。
君なら当然だと思っていたよ」
その声を聞いた瞬間、
デアの胸は温かく満たされた。
(……来てくれた……)
デズモンドは微笑んでいたが、その奥にはわずかな陰りがあった。
――彼女が痛みに耐えていることに、
自分は気づけなかった。
その罪悪感が、
彼の胸を静かに締めつけていた。
デアは勇気を振り絞り、彼を庭園へ誘った。
夜風が頬を撫で、星明かりが二人を照らす。
デアは胸の前で指をぎゅっと握りしめた。
(……言わなきゃ。
今日を逃したら、もう言えない)
「デズモンド……お願いがあるの」
「なんだい?」
喉が震える。
声が出ない。
でも――言わなきゃ。
「今日だけでいい。
今日だけ……私の恋人になってほしいの」
言った瞬間、
心臓が破裂しそうだった。
沈黙。
デズモンドの胸に、鋭い痛みが走った。
(……今日だけ?
そんな言葉、言わせたくない)
次の瞬間、彼はデアを抱きしめていた。
「今日だけなんて言うな。……ずっと一緒にいる」
その言葉を口にした瞬間、
デズモンドの胸では罪悪感と本当にそうなりたい願望がぶつかり合った。
だがデアは――
(……夢みたい……
私……私……生きててよかった……)
涙が頬を伝い、胸の奥が光で満たされていくようだった。
デアの世界は満たされた。
デズモンドの世界は――
静かに、しかし確実に壊れ始めていた。
◆ 第5項 地下へ続く階段、絶望の始まり
パーティが終わりに近づいた頃、
母がデアを呼んだ。
「デア、こちらへいらっしゃい。大切な話があるの」
その声音は、
いつもより柔らかく聞こえた。
(……お母様が、優しい……)
胸が温かくなり、
デアは疑いもせず母の後をついていった。
だが――
連れて行かれたのは邸宅の奥、
普段は鍵がかけられているはずの地下への扉だった。
冷たい石の階段を降りるたび、
胸の奥で小さな不安が膨らんでいく。
(……どこへ……?
どうして……?)
階段を降り切った瞬間、
視界が開けた。
巨大な祭壇。
磔台。
禍々しい紋様。
青白い炎が揺らめき、
空気は血と鉄の匂いで満ちていた。
そして奥には――
黒い肉塊に牙と眼が無数に混じり合った、
全長数十メートルの異形。
変異魔獣ムタトゥス・フォルバチアス。
「……お母様、これは……?」
母は微笑んだ。
その笑みは愛情ではなく、
狂気と期待に満ちていた。
「あなたは今日、ポップフェラー家の力の源となるのよ。
誇りに思いなさい」
背筋が凍りついた。
逃げようとした瞬間、
複数の手がデアを押さえつけた。
冷たい鎖が手足を縛り、
磔台へと固定される。
「やめて……! お母様……!」
母は答えなかった。
ただ、恍惚とした目で娘を見下ろしていた。
ポップフェラー家が代々続けてきた“禍胎儀式”。
「紫色の悪魔のカケラ」を心臓に埋め込まれた者は、
やがて胸を突き破って“禍胎”へと変異し、ムタトゥスへ献上される。
通常の悪魔のカケラは埋め込んだものを魔物に変えるだけだが――
サタンのカケラは力が強すぎて、
器を“禍胎”という異形へと強制変異させる。
その対価として、
ポップフェラー家はムタトゥスが生み出す魔物を使い、
政敵を排除してきた。
デアは――禍胎となる“器”として選ばれたのだ。
カケラを埋め込む器具が心臓に押し当てられる。
「ゃ……めて……やめて……!」
刃が肉を裂き、
心臓に突き刺さった瞬間――
「――あああああっ!!」
脳髄を砕くかの様な激痛ーーー
身体がのけぞり、すさまじく痙攣したかと思えば、前のめりに倒れ、血を吐いた。
致命傷のはずなのに、胸の傷口は紫色の光を放ちながら修復されていく。
(……痛い……苦しい……
誰か……助けて……)
デアは冷たい闇の中に放置された。
意識が遠のく。
呼吸が浅くなる。
――助けて。
誰か……。
その願いに応えるように、
扉が勢いよく開いた。
「デア!」
デズモンドが駆け寄ってきた。
デアの目から涙が溢れた。
「デズ……モンド……」
彼は震える手で彼女の頬に触れた。
「大丈夫。僕が君を助ける」
その声は、彼自身の恐怖を押し殺したものだった。
◆ 第6項 逃走(改稿・完全版)
デズモンドがデアを抱き上げた瞬間、背後から足音が響いた。
「……さて」
デアの兄が現れた。
薄ら笑いを浮かべ、手には電気鞭を持っている。
「仕上げだ。たっぷり楽しませてもらうよ、“壊れ物”」
「お兄……さま……?」
兄は笑った。
「安心しろよ。お前の価値なんて最初から“これ”だけだ。
お前は――俺たちに壊されるために生まれてきたんだ」
デズモンドの胸に、
怒りと恐怖と罪悪感が渦巻いた。
「黙れ……!」
兄が電気鞭を振り上げた瞬間――
デズモンドが咄嗟にデアを抱えて身を翻す。
電気鞭は空を切り、
反動で兄の手から滑り落ちた。
「なっ――」
落ちた鞭は床で跳ね返り、
兄の足に絡みついた。
「ぎゃああああああああっ!!」
自分の電撃を全身に浴び、
兄は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
情けないほどあっけない気絶だった。
デズモンド
「……行くぞ!」
デアを抱え、
儀式場を飛び出す。
魔術師たちが追ってくる。
ムタトゥスが咆哮し、空気が震える。
邸宅を抜け、デアを抱えて夜の森へ飛び込んだ。
デア
「……デズ……モンド……どこ……に……」
デズモンド
「分からない。でも王宮には行けない。
父も“悪魔”を利用している。君を守れない」
「もういいの……家に戻――」
「嫌だ!
僕たちだけで逃げる!」
その声は、
彼自身の願望の叫びでもあった。
◆ 第7項 廃村での一夜(改稿・完全版)
森を抜け、
二人は朽ち果てた廃村へとたどり着いた。
屋根の抜けた家々。
風に揺れる草の音だけが響く、
誰もいない場所。
デズモンドは、
倒れそうなデアを抱えながら、
一軒のまだ形を保っている小屋へ入った。
「デア、横になって。
もう大丈夫だ……僕がいる」
抱えられているだけでも虚弱体質で胸部に傷を負ったの彼女の体は酷く傷んだ。
デアは息を荒げながら、かすかに微笑んだ。
「……ごめんなさい……もう……私……」
「謝るな。
君は……よく頑張った」
デズモンドは震える手で、
デアの額の汗を拭った。
その手つきは、
まるで壊れ物に触れるように優しかった。
しばらくして、デアは小さく呟いた。
「……デズモンド……
今日だけでいいから……そばにいて……」
その声は、
弱々しくて、
でも確かに“願い”だった。
デズモンドは迷わず頷いた。
「さっきも言ったろう?……今日だけなんて言うな。
どこにも行かない」
デアは震える指で、彼の服の裾をそっと掴んだ。
「……キス……しても……いい……?」
デズモンドの呼吸が止まった。
だが次の瞬間、
彼女は静かにデズモンドの頬へ手を添え、
そっと唇を重ねた。
それは、
触れるだけの優しい口づけだった。
けれど――
デアにとっては、
胸の奥が光で満たされるような、
一生に一度の幸福だった。
その夜、
二人は寄り添って眠った。
デアの身体は弱く、
階段を上がるだけでも息が切れるほどだった。
だから――
その先の行為は、命を削るような痛みを伴った。
けれど同時に、
胸の奥が温かく満たされていくような、
生きている実感があった。
痛みは波のように押し寄せ、
幸福は光のように胸を照らした。
(……ああ……
こんなに苦しいのに……
どうして……こんなに幸せなの……)
涙が頬を伝えた。
デズモンドはその涙を指で拭いながら、
何度も何度も彼女の名を呼んだ。
「デア……
君は……生きていていいんだ……
僕のそばにいていいんだ……」
デアは微笑んだ。
「……ありがとう……
デズモンド……
あなたと……生きたかった……」
その夜は、
二人にとって
最初で最後の“完全な幸福”だった。
そして――
その幸福は、
翌朝、
“覚醒”という名の運命へと変わる。
◆ 第8項 覚醒 ― “理想の自分”(改稿・完全版)
夜明け前。
廃村の小屋に、かすかな光が差し込んだ。
デアは浅い呼吸を繰り返しながら、
胸を押さえていた。
「……デズ……モンド……
私……まだ……生きていたい……
一緒に……いたい……」
その願いは、
弱々しく、
けれど確かに“生”を求める声だった。
胸の奥で、
紫色の光が脈動し始める。
ドクン――
ドクン――
「デア……? どうした……?」
デズモンドが駆け寄った瞬間、
デアの身体が紫の光に包まれた。
「……いや……死にたくない……
生きたい……デズモンドと……」
その叫びが、
カケラを触媒に神通力を発現させた。
悪魔のカケラが人格を持ち、
デアの中に“もう一人”が生まれる。
光が弾け――
小屋の壁が震えた。
光が収まった時、
そこに立っていたのは――
金髪は縦ロールに輝き、
背には天使のような羽。
はちきれんばかりの胸、
ミニスカの天使のような姿。
それは、
デアが密かに憧れていた“理想の自分の姿”。
顔は変わらない。
だが血色が良く、
まるで別人のように美しかった。
デズモンドは固まった。
「………………」
口が半開きのまま動かない。
デア(新しい姿)は、
少し不安そうに首を傾げた。
「……デズモンド……?
どう……かな……?」
デズモンド
「………………すごい……
いや、すごすぎる……
いや、なんだこれは……?」
完全に思考が停止していた。
デアは頬を赤らめ、指をつんと合わせた。
「……もう一度……お願い……
しても……いい……?」
デズモンド
「いやいやいやいやいやいや!?
ちょっと待て!?
今の君は色々と反則だろ!!?」
小屋の中に、
場違いなほど明るい空気が流れた。
デアはくすっと笑った。
(……ああ……
この人の前なら……
どんな姿でも……私でいられる……)
だが、
その幸福は長く続かなかった。
デズモンドは深く息を吸い、真剣な表情に戻った。
「……デア。
君を国外へ逃がす手筈を整える。
僕は……アルビオニアに残る」
「え……?」
「君を追う者たちを止めるには、
僕がここに残るしかない。君は死んだことにするんだ。
王宮の動きも抑えないといけない」
デアの胸が痛んだ。
「……一緒に……行けないの……?」
デズモンドは微笑んだ。
その笑みは、
優しくて、
そしてどこか寂しかった。
「何年かかっても……必ず迎えに行く。
だから……生きていてくれ」
デアは唇を噛んだ。
涙がこぼれそうになる。
「……うん……
待ってる……ずっと……」
二人は抱きしめ合った。
その抱擁は、
別れの予感を孕んだ、
静かな誓いだった。
◆ 第9項 ゲルマニア公国 ― 魔女狩り(改稿・完全版)
デアは、ゲルマニア公国の片隅にある小さな農村で暮らしていた。
名を変え、
髪を結い方を変え、
服装も質素なものにした。
だが――
その優しさだけは変わらなかった。
「病気の子を治してくれたんだ」
「畑の手伝いもしてくれた。優しい子だよ」
村人たちは、
彼女を“天使のような娘”と呼んだ。
デアは微笑んだ。
(……ここなら……生きていける……
デズモンドが迎えに来るまで……)
胸の奥に宿る“もう一人”――サタン人格は、
静かに彼女を見守っていた。
(……お前は優しすぎる…… それがいつか、お前を殺す……)
だがその声は、デアには届かなかった。
ある日、村に馬車の轟音が響いた。
貴族の紋項を掲げた兵士たちが、
村の中央へと乗り込んできた。
「この村に“異形の力”を持つ娘がいると聞いた」
村人たちは慌ててデアを庇った。
「違う! あの子は――」
「ただの優しい娘だ!」
「病気の子を助けてくれただけだ!」
だが、
貴族たちは聞く耳を持たなかった。
「治癒の奇跡? 魔術だろう」
「魔女は国家の敵だ」
兵士たちはデアを取り囲んだ。
デアは抵抗しなかった。
(……逃げても、村の人が傷つく……
それだけは……嫌……)
サタン人格が叫んだ。
(馬鹿者!! 抗え!!
お前はもう“ただの人間”じゃない!!)
だがその声は、デアの心には届かない。
デアは静かに手を差し出した。
「……わたしが行きます。 村の人は……どうか……」
兵士たちは彼女を縄で縛り、馬車へと押し込んだ。
村人たちの叫びが響く。
「やめろ!!」
「その子は魔女なんかじゃない!!」
「返せ!!」
だが、貴族たちは冷笑を浮かべるだけだった。
処刑場は、
森の外れにある古い射撃訓練場だった。
デアは杭に縛り付けられ、兵士たちが銃を構える。
「魔女の最期だ。 撃て」
乾いた銃声が響いた。
弾丸がデアの身体を貫く。
「っ……!」
血が地面に滴る。
(……痛い……
でも……村の人が……無事なら……)
サタン人格が叫ぶ。
(やめろ!! 死ぬな!!
お前が死ねば……私は……!!)
だが、デアの意識は遠のいていく。
「……デズ……モンド……
迎えに……来て……」
次の瞬間、
胸の奥で何かが“切れた”。
サタン人格が目を覚ました。
デアの身体を支配し、
ゆっくりと顔を上げる。
銃弾が何発も撃ち込まれているのに、
その瞳は――
一切の恐怖を失っていた。
兵士たちは後ずさった。
「な……なんだ……あれは……」
「死んでない……?」
「化け物だ……!」
サタンは、
ゆっくりと兵士たちを睨み返した。
その瞳には、
怒りでも憎しみでもない。
ただ――
静かな侮蔑だけが宿っていた。
兵士たちは恐怖に駆られ、
悲鳴を上げて逃げ散った。
サタンは縄を引きちぎり、
ふらりと森の奥へ歩き出した。
(……デア……
お前の願いは、私が継ぐ……
生きることも……
憎むことも……
全部、私が背負う……)
こうして――
デア・ポップフェラーは死に、
魔王サタンが生まれた。
◆ 第10項 再会と別れ
山奥の深い霧の中。
デズモンドは、ひとり静かに歩いていた。
何年も探し続けた。
何度も死にかけた。
それでも――彼は諦めなかった。
(……必ず迎えに行く。
あの日、そう誓ったんだ)
そしてついに、
古びた木造の小屋を見つけた。
扉は半ば朽ち、
窓には薄い布が掛けられている。
デズモンドは息を整え、
そっと扉を開いた。
小屋の中には、
ひとりの女性が座っていた。
金髪の縦ロール。
天使のような羽。
血色の良い肌。
そして――
どこか懐かしい横顔。
「……デア……?」
女性はゆっくりと振り返った。
その瞳は、
深い紫色に揺れていた。
「……デズモンド……
来てくれたのね……」
声は柔らかく、
仕草も、表情も、
まるでデアそのものだった。
デズモンドの胸が熱くなる。
(……生きていた…… 本当に……)
だが――
次の瞬間、
彼の表情がわずかに曇った。
「……デア。
君は……どうして……
“その声”を出すんだ?」
女性の指が止まる。
「……え……?」
デズモンドは静かに言った。
(デアは……
そんなふうに笑わない。
そんなふうに首を傾げない。
そんなふうに……
僕の名前を呼ばない)
女性の瞳が揺れた。
「……どうして……
わかるの……?」
(わかるさ。
僕は……
君の全部を見てきたんだ)
沈黙。
そして――
女性はゆっくりと微笑んだ。
その微笑みは、デアのものではなかった。
「……そう。
やっぱり……あなたには隠せないのね」
声が変わった。
柔らかさが消え、
静かな威厳が宿る。
「私は……サタン。
デアの中に生まれた、もう一人の人格」
デズモンドは目を閉じた。
「……そうか」
サタンは続けた。
「でも……
デアの記憶は、全部ある。
あなたと過ごした日々も……
あの夜の温もりも……
全部、覚えている」
デズモンドの胸が締めつけられた。
「……彼女は……
最後まで……僕を……?」
サタンは頷いた。
「ええ。
あなたを愛していた。
最期の瞬間まで」
デズモンドは震える声で言った。
「……なら……
彼女に伝えてくれ」
サタンは静かに目を伏せた。
「……何を?」
デズモンドは微笑んだ。
その微笑みは、
どこか少年の頃のように優しかった。
「愛していたと。
ずっと……
彼女だけを」
サタンは何も言わなかった。
ただ――
ほんの一瞬だけ、
デアの面影が微笑んだ気がした。
デズモンドはゆっくりと背を向けた。
「……ありがとう。
君が……彼女の記憶を持っていてくれて」
サタンは静かに見送った。
その瞳には、
涙はなかった。
だが――
胸の奥で、
確かに“誰か”が泣いていた。
◆ 第11項 デズモンドの最期(改稿・完全版)
サタンとの別れから数年。
デズモンド・スペンサーは、
黒曜騎士団の総指揮官として戦場に立っていた。
黒い甲冑に身を包み、
漆黒の軍旗を背に、
彼は常に最前線へと向かった。
(……死ねると思った。
あの時、彼女を失った瞬間に)
だが――
死は彼を避け続けた。
魔物の群れが押し寄せる戦場。
黒曜騎士団は次々と倒れていく。
「総指揮官! 退いてください!」
「ここは危険です!」
デズモンドは剣を振り抜きながら叫んだ。
「構うな! 前へ進め!」
剣が魔物の肉を裂き、
血飛沫が鎧を染める。
だが――
彼の身体には傷一つつかなかった。
(……なぜだ。
なぜ僕は死ねない)
仲間が倒れ、
部下が叫び、
戦場が地獄と化しても――
彼だけは生き残った。
まるで、
死神が彼を避けているかのように。
戦争が終わった頃、
デズモンドは急激に衰弱し始めた。
病ではない。
毒でもない。
呪いでもない。
医師たちは首を振った。
「……原因がわかりません。
臓器も血液も正常です。
ただ……生命力だけが……」
生命力が、
静かに、確実に消えていく。
デズモンドは薄く笑った。
(……ああ……
やっと……逝けるのか)
ベッドの上で、
彼は静かに目を閉じた。
最後に浮かんだのは――
あの夜、星明かりの下で微笑んだデアの顔。
「……デア……
愛していた……
ずっと……」
その言葉を最後に、
デズモンド・スペンサーは息を引き取った。
死因は不明。
傷も病もない。
ただ――
心だけが、先に死んでいた。
彼は生涯独身で、子を残さなかった。
だが、
彼の名は黒曜騎士団の歴史に刻まれた。
“最も死に近く、
最も死から遠かった男”
◆ 第12項 王家とポップフェラー家の滅亡(改稿・完全版)
デズモンドが息を引き取ってから、
アルビオニア王国は急速に揺らぎ始めた。
王都では、
黒曜騎士団の残党が密かに囁き合っていた。
「第二王子殿下は……本当に亡くなられたのか」
「死因が不明だと……?」
「いや、それよりも――王家の“悪魔利用”の噂が……」
その噂は、
やがて確信へと変わっていく。
◆ スペンサー王家の崩壊
スペンサー王家は、
長年にわたり“悪魔の力”を政治に利用していた。
政敵の失踪。
反乱軍の壊滅。
不自然な疫病の発生。
すべてが、王家の裏で動く“悪魔祓い師部隊”によるものだった。
だが――
その中心にいたのは、
他ならぬ デズモンドの父王 だった。
デズモンドの死をきっかけに、黒曜騎士団の内部告発が始まった。
「王家は悪魔を使っていた!」
「ムタトゥスを利用し、国を操っていた!」
「第二王子殿下は、その犠牲者だ!」
民衆の怒りは爆発し、王城は炎に包まれた。
スペンサー王家は滅び、
王位は新たな レインフォード王家 へと移った。
◆ ポップフェラー家の滅亡
一方、
ポップフェラー家でも異変が起きていた。
ムタトゥス・フォルバチアスが――
制御不能になったのだ。
「なぜだ!? 儀式は成功したはずだ!」
「禍胎が……戻ってこない……?」
「まさか……器が……逃げたのか……?」
デアが“禍胎”にならなかったことで、ムタトゥスは飢え、暴走した。
黒い肉塊が蠢き、
牙と眼が増殖し、
邸宅を飲み込むように広がっていく。
「ぎゃああああああああ!!」
「助けてくれ!!」
「ムタトゥス様! どうか――!」
祈りも叫びも届かない。
ポップフェラー家は、
一夜にして跡形もなく消えた。
残ったのは、
禍々しい黒い痕跡だけだった。
◆ 二つの名家の滅亡が意味するもの
スペンサー王家の崩壊。
ポップフェラー家の消滅。
この二つの滅亡は、
アルビオニア王国の歴史において
“悪魔の時代の終わり”を意味していた。
◆ 第13項 ムタトゥス封印(改稿・完全版)
ポップフェラー家が滅んだ夜から、
アルビオニア王国は静かに、しかし確実に崩れ始めていた。
王都の地下深く――
かつてポップフェラー家の地下にあった“禍胎儀式場”が、
そのまま移設された場所。
そこに、
黒い肉塊が蠢いていた。
ムタトゥス・フォルバチアス。
牙と眼が増殖し、
肉が裂け、
新たな触手が生まれては消える。
「……飢えている……
“器”が戻らなかったせいで……」
王室悪魔祓い師たちは震えていた。
「このままでは……王都が……」
「いや、国が滅ぶ……!」
ムタトゥスは、
デアという“禍胎”を得られなかったことで、
飢餓状態に陥っていた。
その飢えは、
もはや制御不能。
その時――
一人の女性が前に進み出た。
銀髪を後ろで束ね、
白い祓魔衣を纏った女性。
エレノア・グレイヴゼンド。
王室悪魔祓い師の頂点に立つ者。
“聖遺躯の巫女”と呼ばれた女。
「……私が封じます」
祓い師たちは息を呑んだ。
「エレノア様!?
あれは……あなた一人でどうにかできる存在では――!」
「わかっています。
だからこそ……私が行くのです」
エレノアは静かに微笑んだ。
「この国を守るために、
私の命を使いましょう」
ムタトゥスが咆哮した。
空気が震え、
地下の石壁が砕け散る。
エレノアは祓魔杖を構え、
詠唱を始めた。
「――聖遺躯解放(レリクス・オープン)」
彼女の身体から光が溢れ、
肉体が徐々に透き通っていく。
祓い師たちが叫んだ。
「エレノア様!!
その術は……あなたの命を……!」
「ええ。
わかっています」
エレノアは微笑んだまま、
ムタトゥスへ歩み寄った。
「あなたは……哀れな存在。
本来なら、こんな姿になるはずではなかった」
ムタトゥスが触手を伸ばす。
牙を剥く。
眼が無数に開く。
エレノアはその全てを受け止めるように、
両腕を広げた。
「――私の身体を、封印の器にしなさい」
光が爆発した。
ムタトゥスの肉塊が、
エレノアの身体へと吸い込まれていく。
牙が、眼が、触手が――
すべてが彼女の肉体へ融合していく。
祓い師たちは涙を流しながら見守った。
「エレノア様……!」
「どうか……どうか……!」
エレノアは最後に振り返り、
微笑んだ。
「……大丈夫。
私は……この国を愛していましたから」
そして――
彼女の身体は完全にムタトゥスと融合し、
巨大な黒い棺のような“封印体”へと変わった。
その瞬間、
ムタトゥスの咆哮は止み、
地下は静寂に包まれた。
こうして、
ムタトゥス・フォルバチアスは封印された。
封印体は
“聖遺躯王室悪魔祓い師
(Exorcist Royal-Reliquaryon)
エレノア・グレイヴゼンド”
と名付けられた。
王城の地下深く――
誰も触れられない場所へと移され、
今もなお、
静かに眠り続けている。
だが、
その封印は永遠ではない。
ムタトゥスは、
今もなお飢えている。
“器”――
すなわち、
デア・ポップフェラー(サタン)
を求めて。
◆ 第14項 エピローグ ― 1200年後へ(改稿・完全版)
白銀歴1224年。
アルビオニア王国の歴史が塗り替えられてから、すでに千二百年が過ぎていた。
文明は変わり、
国境は変わり、
人々の価値観も変わった。
だが――
悪意だけは、何も変わらなかった。
◆ サクラメント教団 ― 神の慈悲の聖職者会MOC
コムニア共和国の郊外。
“孤児院”と呼ばれる建物があった。
外観は清潔で、
壁には聖母像が掲げられている。
だがその裏では――
子どもたちが売られていた。
「次の子はどこだ?
金払いのいい客が待っている」
「はい、聖総母ベリサ様。
すぐに準備いたします」
白い修道服を纏った女――
聖総母ベリサ(Belissa the Saint-Grand-Mother)
は、慈悲深い微笑みを浮かべながら言った。
「神の御心に従いなさい。
この子たちは“救われる”のです」
その声は甘く、
しかし底知れぬ冷たさを孕んでいた。
◆ その時、空気が変わった
孤児院の奥で、
突然、風が止まった。
蝋燭の炎が揺れ、
空気が震える。
ベリサが眉をひそめた。
「……誰?」
返事はなかった。
代わりに――
黒い影が、静かに降り立った。
金髪の縦ロール。
天使のような羽。
紫の瞳。
だがその表情は、
氷のように冷たかった。
サタン。
ベリサ
「……あなた、何者?」
サタンは答えず、
ただ一歩、前へ進んだ。
その瞬間――
孤児院全体が、
黒い光に包まれた。
悲鳴が上がる暇もなく、
建物は音もなく崩れ落ちた。
ベリサの姿は、
跡形もなく消えた。
◆ コムニア大統領夫人 ― アンジェラ
その夜。
大統領府の豪奢な寝室で、
アンジェラ夫人は鏡の前に立っていた。
「ベリサが……消えた?
あの女が?
私の“供給源”が?」
鏡の中の彼女の瞳は、
人間のものではなかった。
黒い角。
歪んだ笑み。
背中から伸びる影。
若さと美貌を保つために子どもを喰らうベルグオルグ魔人――
それがアンジェラの本性だった。
「誰が……私の邪魔を……?」
その瞬間、
窓が砕け散った。
黒い影が、
静かに部屋へ降り立つ。
サタン。
アンジェラの顔が恐怖で歪む。
次の瞬間、
ベルグオルグ魔人の身体は
黒い光に飲み込まれ、
消滅した。
侍従
「ひ、ひ、人殺し……!」
サタンは、ゆっくりと首を傾けた。
「私は――」
紫の瞳が細められる。
「“人”を殺したことは、一度もない」
◆ 事件の結末
翌日。
コムニア大統領府は声明を出した。
大統領夫人アンジェラは
「大統領夫人アンジェラは、
国家転覆を企てた魔人であった。
これを討伐したのは、
我が国の治安部隊である」
真実は語られなかった。
サタンの名も、
姿も、
記録には残らなかった。
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